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「ちち」とPCで打つと真っ先に「乳」と変換されてしまうくらいの私にはまぁ父がいません。
小学生の時に亡くなったのです。この辺はちょっと複雑怪奇な理由があるのですがまぁその辺は私にはあまり関わりのないことなのと話がそれるので置いといて。
画像は小学生の時の私です。
見てのとおりなのでよく男の子に間違えられました。
写真が妙に変色しているのはこれを撮影してから現像するまでに月日が流れすぎたせいだと思われます。
そして前後の写真からみてピアノの発表会の時のものではないかと思われます。
結局話しが逸れてしまいましたが父の日の話というより父の話です。
父はちょっと夫としてはちょっとというか「私ならこんな男嫌だな」というところもある人だったようですが父親としては娘に甘くてとことん甘やかしてくれるパパという印象しかありません。
本当に自分が頭が悪いなぁと思うくらい正直子供の頃の記憶があまりたくさん無く、かつ父が亡くなってもう20年は経っているので父の顔を全く思い出せません。
チョココロネが好きだったな、とか細かったな、とかは思い出せるのですが正直顔や背丈などはまるで思い出せないのです。
ただ地元に戻って3年目、その中で母の知り合いで父の顔を知ってる方2人くらいに
「やっぱりお母さんよりお父さんに似てるね」
みたいなことを言われたのが印象的でした。
正直顔以外にも体質的にも母に似ていないことを色々大人になるにつれ感じるこが増えてきたのですが子供の頃もちょくちょく言われていた父似が成長しても治らなかったことに不安すら覚えます。
申し訳ないと思いつつ父に似ていることは不本意なのですが父との思い出についてはいいことと面白いことばかりです。
お葬式に行かなかったことを今ではとても申し訳ないと思っています。ごめんなさい。
以前片づけをした時にアルバムにも入れてない写真が数枚出てきたので今日は2枚ほど載せていきます。
上のはピースしてるのが私。
小学生の…何年生だろう。
髪型のせいか服装のせいかよく男の子に間違われていましたが完全に母の趣味です。
私はもっとこう髪長くしてスカートとかリボンとかかわいい格好をしたいノートにはヒラヒラした格好の女の子の絵ばかり描くような子供でした。
ので、母の行く美容室で髪を切りに行かされるたびに切り終わったあとすごく憂鬱で帰ってから祖母に褒められても不本意な気持ちでいっぱいで全く嬉しくなかったのはいまだに忘れられません。
で、こうなった↓
何かをすごく勘違いしている黒歴史感…
小学校6年生頃には髪も伸ばしてお小遣いでミニスカートとかワンピースとか好きな服買って女の子っぽい格好を出来る範囲で楽しむようになっておりました。
ダイエットしてみたりシールピアスつけてみたりそういうのが楽しくてしかたなかったなぁ。
*以下色文字部分が当時の日記です。
【 1997年2月8日(土) 】
京子がきた。
ラーメンとウドン、ほしいもをたべながら、マンガをよんだ。
おいしかった。
【 1997年2月9日(日) 】
プールにいった。
ついでに小学のバスケをみにいった。
お弁当をもって…。
ひさびさのプールはきもちよかった。
土日両方友達と遊ぶとかなかなかのリア充です←
一時期ほしいもにハマってたのは覚えています。
特に細いスティックタイプが好きでしたヽ(*言∀言*)ノ
*以下色文字部分が当時の日記です。
【 1997年1月31日 】
今日かえり、○○に
「ボタンしめて」
とコートのいちばん上のボタンをさしてゆわれた。
しめたかったのに「やだ」といった。
(どきっとした)
読んでる方が恥ずかしいわ///
青春だなぁ…( ̄∇ ̄*)ゞ
まぁ恋愛的なことでは照れくさくて素直になれないのは今も変わらずであまり成長していないよいうです←
さすがにここまでではないけども( б Ⅴ б; ) ←